『TOKYO!』
●2008年/仏=日=韓=独/110分/35ミリ/カラー/ビスタ/ドルビーデジタル/2008年8月16日から、シネマライズ、シネ・リーブル池袋ほか順次日本公開
●配給:ビターズ・エンド
●配給:ビターズ・エンド
3つの東京に関する物語をホラーとSFを使って積み上げる

(c)2008『TOKYO!』
2人のフランス人監督と1人の韓国人監督が、そろって大悪戯をしでかしたのが『TOKYO!』である。不揃いではあるが、楽しい3本の映画。この3本の映画が、愛情たっぷりに(時には、文字通りに)照準を定めたのは日本の首都なのである。これら3つの東京に関する物語をホラーとSFを使って積み上げているところは、街の雰囲気にも十分に見合っている。ではあるが、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノという3人の監督に観客が期待するようには、素材がうまい割合で振り分けられていない。3人の名前があることで、映画祭への出品とリベレーション・エンターテインメント社による米での限定劇場公開の後には、この機知に富んだオムニバス映画が、芸術映画を好むファンやジャンル別のオタクたちの家の棚に居場所を見つけるであろうことは約束されていると言える。
『パリ、ジュテーム』よりも少し素行の悪い東洋の姉妹作品というべきだろうか、『TOKYO!』は、タイトルとなった都市のさまざまに姿を変えるアイデンティティーを捉えよう(そして批判しよう)という、冗談めかした、ぎこちない試みなのだとも言える。
『パリ、ジュテーム』よりも少し素行の悪い東洋の姉妹作品というべきだろうか、『TOKYO!』は、タイトルとなった都市のさまざまに姿を変えるアイデンティティーを捉えよう(そして批判しよう)という、冗談めかした、ぎこちない試みなのだとも言える。
抑制を効かせた演出でカフカ的な作品を作り上げたゴンドリー
オムニバス作品最初の出番となるのは、異論はあろうけれど、3作の中ではいちばんの出来と思われるゴンドリーの『TOKYO! <インテリア・デザイン>』である。タイトルは少々、持ってまわったようなものになっている。暗い嵐の夜、若く、自分にだましだましではあるが野心的な映画監督アキラ(加瀬亮)と、彼を助けながらも、どこか向かう先を決められないでいる恋人ヒロコ(藤谷文子)が上京してくるところから、この物語は幕を開ける。ヒロコが2人のためにアパートを探そうとするのだが(東京で最も安い不動産物件を探そうというシュールなホラーを直接経験するわけである)、ただただうまく行かず、不満が募っていく。彼女が職を探そうとするが、これもうまく行かない。
物語の冒頭、アキラは、人は何をするかによってその価値を決めるという処世訓を吐いているのだが、これはヒロコが摩訶不思議な、しかしあながち歓迎されないでもない変身をしていくことで、驚くような新しい意味を持つことになってしまう。ゴンドリーは、最小限の特殊効果と昔ながらの映像的なごまかしの技法を用い、クローネンバーグ的とも言える肉体的なホラーの忍び込むような照明技術を操り、藤谷の観客をひきつける演技にカメラの焦点を合わせ続けている。このフランス人監督は、目もくらむような演出上の気まぐれで有名なこともあるのだが、ここでは、抑制を効かせ、辛らつでありながら、ちゃめっ気もあるカフカ的な作品を作り上げることに成功していると言える。
物語の冒頭、アキラは、人は何をするかによってその価値を決めるという処世訓を吐いているのだが、これはヒロコが摩訶不思議な、しかしあながち歓迎されないでもない変身をしていくことで、驚くような新しい意味を持つことになってしまう。ゴンドリーは、最小限の特殊効果と昔ながらの映像的なごまかしの技法を用い、クローネンバーグ的とも言える肉体的なホラーの忍び込むような照明技術を操り、藤谷の観客をひきつける演技にカメラの焦点を合わせ続けている。このフランス人監督は、目もくらむような演出上の気まぐれで有名なこともあるのだが、ここでは、抑制を効かせ、辛らつでありながら、ちゃめっ気もあるカフカ的な作品を作り上げることに成功していると言える。
3作品の中でももっとも荒々しく、テーマ的にもトゲのある『~メルド』
怪獣映画のパロディであることは、題名(原題 “Merde”は、排泄物という意味)と、その出来栄えでよりはっきりしている『TOKYO! <メルド>』は、1999年の『ポーラX』以来、カラックス初の監督作品として観客にとってはもっとも興味深い作品となっているのではないだろうか。『ゴジラ』や、それに似た数え切れないほどの類似作品に倣い(そして、たぶん、この作品の監督仲間でもあるボンの『グエムル -漢江の怪物-』にも敬意を表していると思われる)、カラックスは、おぞましい、まるでゴラムのような人間そっくりの生物(とんでもなく奇妙なメイクアップをしたドゥニ・ラヴァン)を、下水道から大都市東京の街に登場させている。
ちょっとした破壊行為の後(これは、南京大虐殺に関する言及へと続くわけだが、それは本作品の「抑圧された者の帰還」という含まれた意味合いをくっきりと浮かび上がらせてもいる)、この生物は捕獲され、当局からの尋問を受けることに。しかし、彼のしわがれ声で発せられる怒りを理解できるのは、エキセントリックなフランス人弁護士(ジャン・フランソワ・バルメールが楽しそうに演じている)だけなのである。自分のことをメルド(排泄物)と呼ぶこのテロリストは、露骨に日本人を「汚らわしい」と非難するが(原因を聞いてみれば、その言葉でもまだ足りないくらいだ)、エンディングでは、この未来都市が嫌がらせや迷惑にも十分対処が出来るようになっていることを示唆している。
日本人ニュースキャスターのおかしくなってしまうような礼儀正しさや、何から何までも大量宣伝の賜物だ、としてしまいたくなる文化的に積極的な意志など、様々たくさんの風刺のネタも取り入れ、『メルド』は、3作品の中でももっとも荒々しく、またテーマ的にもトゲのあるものになっている。
ちょっとした破壊行為の後(これは、南京大虐殺に関する言及へと続くわけだが、それは本作品の「抑圧された者の帰還」という含まれた意味合いをくっきりと浮かび上がらせてもいる)、この生物は捕獲され、当局からの尋問を受けることに。しかし、彼のしわがれ声で発せられる怒りを理解できるのは、エキセントリックなフランス人弁護士(ジャン・フランソワ・バルメールが楽しそうに演じている)だけなのである。自分のことをメルド(排泄物)と呼ぶこのテロリストは、露骨に日本人を「汚らわしい」と非難するが(原因を聞いてみれば、その言葉でもまだ足りないくらいだ)、エンディングでは、この未来都市が嫌がらせや迷惑にも十分対処が出来るようになっていることを示唆している。
日本人ニュースキャスターのおかしくなってしまうような礼儀正しさや、何から何までも大量宣伝の賜物だ、としてしまいたくなる文化的に積極的な意志など、様々たくさんの風刺のネタも取り入れ、『メルド』は、3作品の中でももっとも荒々しく、またテーマ的にもトゲのあるものになっている。
韓国の最もクリエイティブな監督のひとりが、繊細なマイナーのキーで物悲しく歌い上げた作品
それに比べれば、ポン監督の『TOKYO!<シェイキング東京>』は、その愉快な単純さもあり、よほど受け入れやすいものになっている。
香川照之(カンヌ映画祭のある視点部門に選出された『トウキョウソナタ』にも出演)演じる自称“引きこもりの男”は、ここ10年以上自分のアパートから外に出ていない。そんな彼がその洞窟から抜け出すきっかけとなったのは、訪ねてきた美しいピザ宅配の少女(蒼井優)。そして偶発的な地震が起こる。彼はそこで、病的な外出嫌いは彼だけではないことをはじめて知ることになる。
暖かく照らされる、几帳面に整頓された室内、そして同時により広く映される街並み、それら2つを捉えていくスムーズでしなやかなカメラの動き。ポン監督と撮影監督の福本淳は、世界でもっとも人口密度の高い大都市の中心部にでさえ蔓延する孤独を、軽々と、そして正確に描き出している。少しだけSF調に雰囲気が変わっていくことは置いておいても、『~<シェイキング東京>』は、韓国の最もクリエイティブな監督のひとりが、繊細なマイナーのキーで物悲しく歌い上げた作品になっている。支払ったチケット代に対しポン監督らしさをもっと見たいと思う観客もいるかもしれない。だがそうではなく、この作品は刺激の強い3品コース料理の最後を締める、かわいらしいシャーベットとしての役割を果たしていると言えるのだ。
香川照之(カンヌ映画祭のある視点部門に選出された『トウキョウソナタ』にも出演)演じる自称“引きこもりの男”は、ここ10年以上自分のアパートから外に出ていない。そんな彼がその洞窟から抜け出すきっかけとなったのは、訪ねてきた美しいピザ宅配の少女(蒼井優)。そして偶発的な地震が起こる。彼はそこで、病的な外出嫌いは彼だけではないことをはじめて知ることになる。
暖かく照らされる、几帳面に整頓された室内、そして同時により広く映される街並み、それら2つを捉えていくスムーズでしなやかなカメラの動き。ポン監督と撮影監督の福本淳は、世界でもっとも人口密度の高い大都市の中心部にでさえ蔓延する孤独を、軽々と、そして正確に描き出している。少しだけSF調に雰囲気が変わっていくことは置いておいても、『~<シェイキング東京>』は、韓国の最もクリエイティブな監督のひとりが、繊細なマイナーのキーで物悲しく歌い上げた作品になっている。支払ったチケット代に対しポン監督らしさをもっと見たいと思う観客もいるかもしれない。だがそうではなく、この作品は刺激の強い3品コース料理の最後を締める、かわいらしいシャーベットとしての役割を果たしていると言えるのだ。











































